下の文章は朝日新聞の「天声人語」に載っていた文の抜粋です。
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・春先の冷え込みを余寒と言う。対になる語は残暑だが、昔は「余熱」とも言った。
その言葉を中国では、年配者がもう一頑張りする意味でも使うそうだ。
「余熱を発揮する」と言えば、冷めない情熱を世の役に立てることだという。
・人生の達人だった臨床心理学者の河合隼雄さんが、
「年齢に括弧を入れる」ことを勧めていた。
「年齢を忘れる」のとはちがう。 年齢は自覚しつつ、それはそれはして何かに挑む。
しゃかりきになるより豊かで味わい深い。
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と。全くその通りだと思っています。
細々と余熱を燃やしながら関西支部で勉強させていただいております私も、今よりもう少し若かった頃は、漢方に情熱を燃やしているつもりでした。
振り返ってみると受身の勉強に終始し、何度聞いても有難い先生のお経を、「馬の耳に念仏」とばかりに聞き流し、渡邉漢方の万分の一も会得していなかったことに気付きました。
反省するばかりで慙愧の念に耐えません。
後期高齢者予備軍として、残りの時間(?)を考えるとのんびりとしてはおられません。
今、灰の中に埋もれた少しばかりの情熱の火を掘り起こし、新しい人々のたぎる情熱に後押しをお願いして、余熱が消えない間に少しでも、渡邉漢方の継承にかかわっていきたいと思っています。
これが、皆様よりちょっとだけ年を重ねた者達の願いでもあります。
基礎を固めるのは賽の河原に似て難しいこと(経験済み)ですが、これが最も大切なことだと思いますので根気よく皆で頑張っていきたいものです。
元村迪子
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