3月8日の京都新聞「凡語」というコラムに、渡邉武先生と椿のことが書かれていました。
この時季、ツバキに心引かれる。
自らの美しさを知ってか知らずか、伸びるがまま咲くがままのヤブツバキ。
片や先人たちに作り込まれた名花は古刹の庭をひきしめる。
繊細で凛とした風情に時を忘れる。
この人もそうだったに違いない。
向日市在住で、2004年に90歳で亡くなった渡邉武さん。
漢方薬の権威で「ツバキ博士」とも呼ばれた。
ハチミツの研究からツバキと出会う。
落ちる姿が不吉とされた物言わぬ花の「汚名をそそいでやろう」と資料を集めた。
生前に寄贈された1500点余を同市図書館が所蔵する。
「拝啓御薬ありがたく」で始まる川端康成の書簡は、渡邉邸でツバキの小枝をもらった礼をしたためたものだ。
版画家棟方志功が死の目前、漢薬の処方を懇願したツバキ絵入りの手紙もある。
一昨年、親族が渡邉邸を引き払うと聞き、館職員らが訪問した時だ。
置かれていたツバキ柄の湯飲みに名刺が入っていた。
白州正子の名と「つまらないものですが、椿文様のもの少々見つかりましたのでさし上げます。 正 渡邉先生 」のメモ。
花を見れば渡邉さんの顔が浮かぶほどのツバキ愛は轟いていたのだろう。
主なき旧渡邉邸を訪れた。
川端が持ち帰った一枝はどれだったろうか、ピンクのツバキが風に揺れていた。
草古会通信7月号・編集後記
「ありがとう。」漢字で書くと、「有難う。」有ることが難しいと書きます。
日常にあるいろいろなことは、ついつい当たり前だと思ってしまいます。
例えば、蛇口をひねると水が出ることは当たり前でしょうか?
海の向こうの国の中には、水道はなく、雨水をためて使っているところもあります。
濁った水でさえ貴重な飲み水となります。
日常の様々なことは、決して当たり前ではないのです。
ものに限らず、身近にいて支えてくれている人に「ありがとう。」って、言い忘れていたり、気遣いさえ忘れていたり・・・今一度考えるように、さまざまな出来事が世の中で起きているような気がします。
身近な人に「ありがとう!」って言ってみては・・・「熱があるの?大丈夫?」なんて、心配されるような人は日中にはいないですよね。
さて、先月、平成20年度日中医薬研究会関西支部通常総会も無事に終わりました。
理事をさせていただき1年、あっという間でした。
自分の未熟さを感じながら、少しずつではありますが、成長していきたいと思っております。
毎月の例会では、先生方にはたくさんのことを教えていただいたり、司会や読み人のご協力をいただいたり、また、人生の先輩、漢方を学ぶ仲間として公私ともに仲良くさせていただき、本当に有難うございます!!
有意義な会になるように、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。 岩脇♪
下の文章は朝日新聞の「天声人語」に載っていた文の抜粋です。
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・春先の冷え込みを余寒と言う。対になる語は残暑だが、昔は「余熱」とも言った。
その言葉を中国では、年配者がもう一頑張りする意味でも使うそうだ。
「余熱を発揮する」と言えば、冷めない情熱を世の役に立てることだという。
・人生の達人だった臨床心理学者の河合隼雄さんが、
「年齢に括弧を入れる」ことを勧めていた。
「年齢を忘れる」のとはちがう。 年齢は自覚しつつ、それはそれはして何かに挑む。
しゃかりきになるより豊かで味わい深い。
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と。全くその通りだと思っています。
細々と余熱を燃やしながら関西支部で勉強させていただいております私も、今よりもう少し若かった頃は、漢方に情熱を燃やしているつもりでした。
振り返ってみると受身の勉強に終始し、何度聞いても有難い先生のお経を、「馬の耳に念仏」とばかりに聞き流し、渡邉漢方の万分の一も会得していなかったことに気付きました。
反省するばかりで慙愧の念に耐えません。
後期高齢者予備軍として、残りの時間(?)を考えるとのんびりとしてはおられません。
今、灰の中に埋もれた少しばかりの情熱の火を掘り起こし、新しい人々のたぎる情熱に後押しをお願いして、余熱が消えない間に少しでも、渡邉漢方の継承にかかわっていきたいと思っています。
これが、皆様よりちょっとだけ年を重ねた者達の願いでもあります。
基礎を固めるのは賽の河原に似て難しいこと(経験済み)ですが、これが最も大切なことだと思いますので根気よく皆で頑張っていきたいものです。
元村迪子
高校三年生のとある授業、「孤独を感じる時はどんな時か?」という質問に、一人を除く全員が「一人で部屋に居る時。」という答えでした。
「繁華街や雑踏の中に居る時。」と答えた人がいました。
雑踏の中に一人でいると、ふとその時のことが思い出されます。
たくさんの人が行きかう中、知らない人ばかり…人生の中で、どれほどの人と出会うのでしょう。
人との出会いが不思議に感じられます。
不思議なことに渡邉漢方に出会い、不思議なことに日中医薬研究会に入会し、そして皆さんに出会うことができました。
「対面同席五百生」:
一瞬でも対面した者は、
過去世で五百回以上の時をともに過ごしているという仏陀の言葉
「同席対面五百生」:
今、同席している、対面しているということは
何でもないようだけれど五百回生まれ変わってやっと実現できた
実はかけがえのない瞬間という意味。
いずれにしても出会いとは不思議で、とても貴重でとても大切です。
さて不思議なご縁で出会えた日中医薬研究会の全国大会は来月です。
支部長の田中先生は、大会の準備に奮闘してくださっています。
ほかの理事の先生方も準備に大忙しです。
今大会では新しい試み「参加者全員発表」が行われます。
一人一人が主役となり、全国大会を大いに盛り上げ、有意義なものにしていきましょう。
岩脇左予巳(新任理事)